村上文祥(因島市民会館のレリーフ) |
村上文祥の墓(豪徳寺) |
アマチュア本因坊戦優勝5回、アマ十傑戦に6回優勝など日本アマ囲碁界を代表する棋士であった村上文祥は、昭和7年(1932)に碁聖・本因坊秀策の故郷、広島県の因島で生まれます。村上氏の先祖は因島を拠点として活躍した村上水軍の一族であったと言われています。
小学生の頃に囲碁を覚えた村上は、中学生の時に戦災で岡山へ疎開してきた本因坊戦初代優勝者、関山利一九段(本因坊利仙)の研究会に通い、早稲田大学へ入学すると「西の怪物」と呼ばれ頭角を現していきます。
大学卒業後、荏原製作所へ入社した村上は、昭和35年(1960)にアマチュア本因坊戦で優勝。翌年に行われた高川秀格本因坊との記念対局は、初の囲碁対局のテレビ放送となったそうです。
その後も数々のアマ棋戦で優勝し、アマ強豪としての地位を固めた村上は、昭和54年(1979)に開催された「第1回世界アマチュア囲碁選手権戦」で日本代表として4位入賞。第3回では3位になるなど世界的に活躍していきます。
また、故郷に対しても因島への「本因坊戦」「棋聖戦」の招致や、現在、全国から多数の参加者が集まり行われている「本因坊秀策囲碁まつり」に親交のある有名な棋士を伴って参加するなど囲碁普及に尽力しています。
一方、本業においては平成6年(1994)に荏原製作所の副社長に就任しています。
村上文祥は平成11年(1999)に亡くなっていますが、日本棋院では数々の活躍を讃え追悼八段を贈っています。また、因島市(現尾道市)は囲碁文化を通じ郷土の発展に貢献されたとして特別功労章を贈っています。
故郷の因島にある因島市民会館のロビーには村上氏の功績を讃えるレリーフが設置されています。
村上の墓は、桜田門外の変で暗殺された大老井伊直弼の墓所として知られる世田谷区の豪徳寺にあります。
囲碁の棋譜がカラーで描かれた珍しい墓石で、棋譜は昭和44年に開催された「朝日アマプロ10傑戦」で坂田栄男10段と対局した時のものだそうです。また追悼八段の免状も墓石にそのまま刻まれています。
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