中国の戦国時代(紀元前5世紀~紀元前221年)に成立したと言われる器物などの発明の由来を記した書『世本』には、囲碁は古代中国で理想の君主と称された五帝の一人である堯帝が、粗暴な息子の丹朱に天下を治めるための教養を身につけさせるために造ったと紹介されています。
史上初の囲碁の愛好家とも言える丹朱は、古代中国の神話に登場する、天下に害をなした四柱の悪神「四罪」の一人、驩兜(かんとう)と同一人物であると言われています。
囲碁を学んだ甲斐もなく丹朱(驩兜)は帝位を継げなかったことに反発したのか、三苗人の論戚誼と組んで反乱を企てたとされ、それが四罪と目される由来となっています。
そして闘いに敗れのちに子孫達は南方へ落ちのび讙頭国を建てたと言われ、『史記』舜本紀では南方に住む「南蛮」たちになったと記されています。
驩兜については中国の伝説に出てくる部族、三苗族の首領とも言われていますが、堯帝の子である丹朱とする説も古くから存在していました。いずれにしても実在の人物かも含めてよく分からない神話の時代の人物です。
丹朱に与えられた囲碁は犀角や象牙など贅沢な素材で造られていたそうですが、元の時代に刊行された『玄々棊経』の序文には、「天下を治めるための教養などを身につけさせるために与えられた囲碁が丹朱に良い影響をもたらしたとは言えぬし、遊具をただ与えたのみであったことは愚かな選択だったのではないか」と記されています。
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