舜(歴代君臣圖像より) |
古代中国の伝説の帝、舜帝は神話の時代に世を治め、理想の君主と称された五帝の一人であり、舜は諡号、姓は姚(よう)、名は重華(ちょうか)と言います。実在したかはともかく紀元前1900年代の人物と思われます。
舜は五帝の一人、顓頊(せんぎょく)の6代子孫と言われ、母を早くに亡くし、父親、継母とその連子と暮らしていましたが、舜は連子に跡を継がせようとする父親達に命を狙われていたと言います。
しかし舜はそんな父親に対しても孝を尽くし、高まる名声は国を治める堯帝のもとへも届きます。
名君として知られた堯帝は、実の子である丹朱に国を治める器量が無いため後継者を探していて、評判の舜にその器量があるか見極めるため、二人の娘を降嫁させ、一つの町を治めさせます。
すると舜の影響により娘達は非常に篤実となり、町には自然と人が集まり3年で都会になるほど栄えていったと言われています。
そうした時期でも父親達は相変わらず舜を殺そうと画策し、舜を屋根へ修理のために登らせ火をつけたり、清掃のために井戸へ入れて土を放り込んだりしますが、その都度、舜は機転を利かせて難を逃れ、この様な仕打ちを受けながらも父に対して孝を尽くしていたそうです。
そして、舜を気に入った堯帝が舜を重用し政務を代行させた結果、朝廷から悪人が一掃され百官が良く治まったと言われ、20年後に堯帝は舜に帝の座を禅譲したと伝えられています。
帝位についた舜帝は、かねてからの国政の課題であった黄河の治水事業に尽力。また、堯帝と同じように、息子の商均に国を治める器量がなかったため、治水事業を指揮し成功させた禹へ帝位を禅譲。そして禹が建国したのが、実在が確実視されている中国最古の(世襲による)王朝、夏王朝と言われています。
堯帝と同様に情に流されず、最も帝にふさわしい人物を後継者に選んだ舜帝は、五帝の一人として儒教では聖人と讃えられ、徳をもって天下を治めた堯帝と舜帝は最も理想的な天子像と言われた事から、名君の事を「堯舜」と称するようになったそうです。
囲碁を創始したのは堯帝と言うのが最も知られた説ですが、囲碁を造ったのは堯帝ではなく舜帝ではないかという説も存在しています。
三世紀後半に張華が編纂した『博物志』には「堯造囲棊教丹朱、或云、舜以子商均愚、故作囲棊以教之」(堯が囲碁を造って子の丹朱に教えた。或いは、舜は子の商均が愚かなるをもって、故に囲碁を作り教えた)と記されています。
堯帝と舜帝は「堯舜」と合わせて語られることが多く、共に息子が後継者としてふさわしくないと考えていた事から、息子の教育のために囲碁を創始した可能性は堯帝だけでなく舜帝にもあると言う話しで、ポイントは、いずれにしても中国古代黄河文明の宮廷の中で囲碁は生まれたというものです。
0 件のコメント:
コメントを投稿