2022年2月5日土曜日

堯 囲碁創始伝説

 

堯(歴代君臣圖像より)


 囲碁がいつ誕生したのかについては諸説ありますが、最も有名な説は古代中国の伝説の君主、堯(ぎょう)の創始伝説です。

 現在、古代中国で遺跡などで実在した事がはっきりしている最古の王朝は殷(紀元前17世紀頃 - 紀元前1046年)とされていますが、近年の研究では中国の正史「史記」などで殷の前に存在していたとされる夏王朝についても実在が間違いないと考えられています。

 そして夏王朝より前の、いわゆる神話の時代には、三皇とそれに続く五帝の合計8人の聖王による治世が存在していたと伝えられ、儒教では8人を理想の君主として神格化しています。

 余談ですが、史上初めて中華統一を果たした秦の始皇帝が、初めて名乗った「皇帝」という尊号は、三皇五帝より尊い存在であるとして、皇と帝を合わせて始皇帝自ら造った造語だそうです。

 囲碁を創始したと伝えられる堯帝は、実在の人物かどうか分かりませんが五帝の一人であり、同じく五帝の一人とされる嚳(こく)の子で、堯は諡号、姓は伊祁(いき)、名は放勲(ほうくん)と言い、紀元前2000頃の人物と思われます。

 即位後、天文観測により暦法を定めたほか、黄河流域の治水事業にも尽力。「その仁は天のごとく、その知は神のごとく」と讃えられる名君であったと言われています。

 堯帝は後継者に誰が良いか臣下に問い、実の息子である丹朱を推す声もありましたが、丹朱には国を治める器量が無いと却下し、多くの家臣が推す親孝行として評判の舜の器量を見定めることとします。

 舜に二人の娘を嫁がせ、一つの町を治めさせたところ、娘たちは誠実な人格となり、任された町は大いに発展したことから、堯帝は舜に国政を代行させ20年後に禅譲しています。

 情に流され身内に禅譲するのではなく、最もふさわしい人物を選び国を譲ったことから、儒教では聖人として崇められているのです。

 囲碁の起源に触れた最も古い記録は、司馬遷が『史記』の編纂で参考にしたとされる、戦国時代(晋が分裂した前五世紀から秦が中国を統一する前221年まで)に編纂された『世本』という書に出てくる一節で、「堯造囲棊、丹朱善之」(堯が囲碁を造り、丹朱はこれを善くす)と記されています。

 囲碁は、堯帝が丹朱を何とか帝にふさわしい人物へ教え導こうと考案したと言われていますが、相手との駆け引きにより陣を取り合う知的ゲームである囲碁は、実際の政治に通じる部分も多くあります。

 堯帝の囲碁創始伝説は、儒教で堯帝が聖人化されていく中で、その偉大さを示すために生まれたのかもしれません。

 中国では、以前より堯の創始伝説が信奉されていて、これによって囲碁論が構築されてきましたが、近年、囲碁史研究が盛んとなり、この伝説は一つの伝承に過ぎないと言う意見も見られるようになったそうです。

 ただ、堯帝の創始伝説を否定する意見は昔から存在していました。

 九世紀の唐の詩人・皮日休は著書『原弈』の中で、堯の創始伝説について「碁の技は人を詐かり勝敗を争うものであり、他国を武力で攻めるのではなく徳を持って帰服させた堯帝が息子に教えるはずが無い」と述べています。

 皮日休を始めとする堯の創始伝説を否定する人々の多くは、当時、博打として行われることもあった囲碁を単なるゲームと低く捉え、その奥深さを理解していなかったのかもしれません。

 堯の創始伝説と、それを否定する意見は、一見真逆のように見えますが、対立しているのは囲碁の創始についてであり、堯帝を讃えているという点では共通していると言えます。

 また、皮日休の意見への反論として、碁盤や碁石はもともと易や暦の道具であったと言う説に基づき、当時は占いと政治が一体化していて、さらに帝は暦を造り時を司っていた事から、丹朱は政治ではなく祭事について伝承したのではないかと提唱しています。

 堯の創始伝説には仙人伝説と融合した次のような話もあります。堯帝は晩年、息子達が帝位を継承するには不適当であるため、聖賢を探し帝位を譲ろうと決心し、平素仲良くしていた仙人の蒲伊を訪ね相談します。

 最初は蒲伊に譲位したいと申し出ますが、蒲伊はこれを固辞し田舎で農業を営んでいた舜を暗示的に示しながら、2人の娘を一緒に舜と結婚させて、その成り行きによって帝位を譲るよう勧めます。

 合わせて、堯帝の息子である丹朱の身上にも心配し、彼の品性に適している奕枰、即ち囲碁を教えるよう勧めます。

 その理由として、仙人の世界で昔から無数の囲碁が打たれてきたが同じ局面は一局もなく、この事こそ日日新の意味を含んでいる。

 丹朱の気質からみて、囲碁に没頭したなら、次々囲碁をうつのに興味を持ち、蛮勇を使わないようになるだろうと語っています。

 仙人蒲伊から囲碁を習った堯帝が、これを丹朱に伝授したことが、この世に囲碁が普及するようになった始まりとされています。

 名君として知られた堯帝ですが、その跡を継いだ舜帝も五帝の一人に数えられる名君であり、後世、共に理想の天子とされ、その政治は「堯舜の治」と称されています。


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