第105代後奈良天皇は、大永6年(1526)4月29日に父である後柏原天皇の崩御にともない践祚しますが、戦乱により朝廷に即位式を行う財政的余裕は無く、10年後の天文5年(1535)になってようやく後北条氏、大内氏、今川氏ら戦国大名の寄付によって即位式を行っています。
後奈良天皇は、長引く戦乱や災害により飢饉、疫病に苦しむ庶民のために諸国の一宮に直筆の般若心経を奉納しているほか、学問を好み、和歌集『後奈良院御集』や日記『天聴集』、日本最初のなぞなぞ集『後奈良院御撰何曾』などを著しています。
また一方で、囲碁や将棋を嗜んでいたようで、宮中の女官が記した『御湯殿上日記』には、享禄三年、天文四年に臣下の囲碁の対局を観戦されたとの記録も残っています。
また、将棋においては、天文年間に、後奈良天皇の命で、それまで使われていた「酔象」の駒が除かれて、現在の将棋の形が確立したという伝承があります。
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