渋沢正雄 |
渋沢正雄の墓(谷中霊園 栄一の墓の後方囲いの中) |
渋沢栄一の三男・渋沢正雄は、大正4年(1915)に東京帝国大学法科大学経済学科を卒業し第一銀行に入行しますが、2年後には退行し実業家として一族の会社経営に関わって行きます。
石川島自動車・昭和鋼管社長や石川島造船専務を務め、昭和5年(1930)には「株式会社石川島飛行機製作所」を創立し初代社長に就任。(第2代社長は兄の武之助)。
その他、秩父鉄道・日本製鉄・日満鉄鋼販売・日本鋼材販売の各社長並びに常務など多くの企業に重役として名を連ねています。
90代で現在も活躍されているエッセイストの鮫島純子氏は渋沢正雄の娘だそうです。
正雄の趣味は囲碁のほか、スポーツ、洋楽、柔道、水泳、乗馬などたくさんありましたが、趣味である囲碁に関する具体的な逸話は見つかりませんでした。
ただ、正雄の大学時代からの親友であり、栄一の秘書・顧問弁護士を務めた後に戦後、第二次岸内閣で運輸大臣に就任した永野護は、囲碁の愛好家で日本棋院理事を歴任している事から、二人で碁を囲む事もあったのかもしれません。
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