奥貫智策の墓(本妙寺) |
奥貫智策は八世伯元、九世察元、十世烈元を輩出した埼玉県幸手市の出身といわれますが詳しい経歴は記録に残されていません。
智策は幼少期に本因坊元丈に入門し活躍。浜松の山本源吉、尾張藩の鈴木知清や、安井知得仙知、井上幻庵因碩、水谷琢順、片山知的らとの棋譜が残されています。
将来を嘱望され元丈の跡目になったとも言われていますが、正式に幕府へ跡目届けが出されたと言う記録はありません。ただ本妙寺に歴代本因坊とともに葬られていることから実質上の内定状態であったと考えられています。
智策は文化9年(1812)に27歳で亡くなっていますが、1歳年下の丈和は大器晩成で、元丈の正式な跡目となったのは、智策が亡くなってから7年後の事です。
戒名「秀得院知策信士」
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