2021年6月9日水曜日

天文方三代目 渋川敬尹

 

渋川敬尹の墓。

墓石の裏側

 江戸幕府天文方の三代目・渋川敬尹(ひろただ)は、囲碁家元三世安井知哲の次男として元禄9年(1696)に京都で生まれます。
 安井知哲は初代安井算哲の三男で、兄には初代天文方・渋川春海がいます。
 正徳5年(1715)4月に渋川春海の跡を継いだ嫡男、渋川昔尹が跡継ぎがいないまま急逝し、隠居の春海も病であった事から、同年6月に急遽、敬尹が渋川家の家督と天文方を継承。同年10月に春海は亡くなります。
 享保6年(1721)には、それまで駿河台にあった天文台(拝領屋敷)を築地木挽町に移転させ、天文方として本格的に活動を開始しますが、5年後に31歳で急逝。嫡男の渋川則休は、まだ幼かったため、渋川家は渋川春海の高弟・遠藤盛俊の門人、渋川敬也が継承し、則休はその養子となっています。
 墓は品川区北品川の東海寺大山墓地にある渋川家の墓所。戒名「翠筠軒心空紹光居士」。

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