渋川昔尹の墓 |
墓石の裏側 |
幕府天文方の二代目天文方の渋川昔尹(ひさただ)は、二世安井算哲として御城碁で活躍した初代天文方・渋川春海の長男、つまり家元安井家初代算哲の孫として天和3年(1683)に生まれます。幼名は亀之助、通称図書。
元禄12年(1699)に将軍徳川綱吉に拝謁、同年「天文成象」を書き著していますが、これは、主に春海が手がけたものだったと言われています。
春海は昔尹に大変期待をかけ、正徳元年(1711)には天文方の地位を譲っていますが、昔尹は4年後の正徳5年(1715)に33歳の若さで急死、ショックを受けたのか父・春海も半年後に後を追うように亡くなっています。
渋川昔尹の夫人は春海の弟である三世安井知哲の長女で、二人の間には跡継ぎがいなかったため、春海は亡くなる直前に安井知哲の次男・敬尹を養子に迎え跡を継がせています。
渋川昔尹の墓は品川区北品川の東海寺大山墓地にある渋川家の墓所にあります。戒名「涼雲軒自肯元性居士」。
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