十一世本因坊元丈、息子の十三世本因坊丈策を輩出した宮重家は藤原氏の流れを汲む名門。徳川家康の祖父である松平清康の代より徳川家に仕える直参の御家人で、江戸時代初期の当主・宮重作兵衛信秀は御天守番を勤めています。
本因坊元丈は宮重信秀の五男・信利の4代後の八郎左衛門信量(のぶかず)の四男で、元の名は宮重信敏、後に宮重楽山を名乗っています。
宮重信秀は江戸の麹町の屋敷の隣りにあった戒行庵の檀家となり、寺が江戸城拡張にともない四谷へ移転した際に奔走。名を「戒行寺」と改め中興開基となります。戒行寺は池波正太郎原作「鬼平犯科帳」の主人公、火付盗賊改の鬼平こと長谷川平蔵の供養碑があることでも知られています。
戒行寺の墓地は現在、寺から遠く離れた杉並区堀ノ内にあり、そこには宮重信秀の墓があります。
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