黒 久須見久左衛門 VS 白 安井算知 |
慶安5年に刊行された日本初の打ち碁集『碁傳記』の作者である久須見久左衛門は、詳しい経歴は分かりませんが京都の人で、碁傳記では住所は「京都 烏丸通七観音町」となっています。
当時、寺院が多く集まる京都には、仏典を作るための木版印刷に関わる職人が大勢いました。久須見久左衛門は碁傳記の作者というだけではなく、版元という立場であった事から、これらの職人を抱えたり、仕事を発注したりするなどそれなりの立場の人物であったと考える研究家もいます。
また、久左衛門自身は、安井算知の29局に次ぐ24局が掲載されるなど碁打ちとしてもかなりの実力者として活躍しています。
鹿苑寺(金閣寺)の住持から相国寺第九十五世となった鳳林承章の日記『隔蓂記』に、明暦3年6月26日、承章が安井算知ら安井家一門と、久須見久左衛門を招いて碁会を開いたとの記述があることから、久左衛門は安井家と親しい関係だったのかもしれません。
碁傳記には40名の対局者による90局の棋譜が掲載されていますが、その大半が刊行当時に活躍していた碁打ちのもので、そこには碁打ちとして当時の強豪たちと対局していた久左衛門の思いもあるのかもしれません。
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