2021年5月8日土曜日

林玄悦門入

  家元林家の三世林玄悦門入は二世林門入の子で、幼名は長太郎。林家当主は代々、初代の名である林門入を名乗っていますが、三世は退隠後に玄悦を名乗っているため区別のため林玄悦門入と呼ばれています。

 貞享2年(1685)、長太郎が8歳の時に父門入は亡くなりますが、生前に名人碁所・本因坊道策へ長太郎が林家を相続できるよう育成を依頼していて、長太郎は12歳の時に門入を名乗ることを許され家督を相続します。

 道策には多くの優秀な門人がいて、門入は家督相続後も道策の門人により指導を受け、18歳の時に初段となり御城碁へ初出仕しています。

 道策が亡くなった後は、その遺命により井上道節因碩が門入の指導にあたりますが、もともと病弱であった三世門入の上達はあまり見込めず、宝永2年(1705)に因碩は他家と協議のうえ、道策の門人片岡因的を林家の跡目とします。因的はこの時、因竹と名を改めています。

 三世門入は宝永4年(1707)に家督を因竹に譲り退隠。名を玄悦と改めます。その後、五段まで進んだ玄悦は、享保4年11月17日(1719年12月27日)に42歳で亡くなっています。


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