囲碁家元四家の一つ林家の二世林門入は、安井算知の門下であったと言われ、一世林門入(林門入斎)が亡くなって2年後の寛文9年(1669)に算知が林家の俸禄を継がせ林門入の名を継承。これにより囲碁家元の四家体制が確立します。
門入はその後も安井家と親交を結び、家督継承した年に始まった算知と本因坊道悦の争碁では算知の添願人となっています。
ただ、病に伏してからは安井家ではなく、名人碁所の本因坊道策に実子の長太郎(後の林玄悦門入・当時8歳)への家督相続を託して貞享2年3月11日(1685年4月14日)に亡くなっています。
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