江戸時代に成立した囲碁家元四家の一つ林家の初代林門入は、本因坊算砂のライバル利玄の弟子であったと言われています。
林門入は伊賀国の鉄砲鍛冶・松屋彌左衛門の子と言われ幼名は門三郎。堺にいた頃に利玄に碁を学び、天正18年(1590)徳川家康の江戸入府を機に父と共に江戸へと移っています。
碁の強い少年として知られていた門三郎は、浜松城にて家康の御前で碁を打ち、その才能が認められて小坊主として取り立てられます。そして本多正信より林姓を与えられ門入を名乗るようになりました。
その後、本因坊算砂に付いて上手並となり、慶長15年(1610)には、駿府で本因坊算砂と利玄、中村道碩と門入の対局が行われるなど活躍。
安井算知とは特に親交が深く共に大徳寺芳春院を訪ねたなどの記録も残されています。
晩年は退隠して門入斎を名乗り、寛文7年(1667)には、安井算知、本因坊道悦、伊藤宗看、大橋宗与などの囲碁、将棋の家元と共に幕府から屋敷の拝領を受けていますが同年に死去、浅草誓願寺快楽院(現在は練馬区練馬)に葬られています。
一世林門入は跡目を定めずに亡くなりましたが、寛文9年(1669)に安井算知は、弟子の一人に門入斎の俸禄を継がせて二世林門入を名乗らせます。
これにより林家は囲碁の家元の一つとなり、囲碁家元の四家体制が確立しています。
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