初代井上因碩から四代目(幻庵による系譜訂正後は五世)にあたる井上策雲因碩は越前国出身で、もとは本因坊道策門下で三崎策雲と言いました。
元禄15年(1702)に兄弟子であった井上道節因碩の養子となり、井上因節を名乗って御城碁に出仕。享保4年(1719)には道節が亡くなり井上因碩の名を継承しています。
上手(七段)となった策雲は、享保6年(1721)に安井仙角、林朴入門入とともに本因坊道知の名人碁所就位願いを幕府へ提出、自らは仙角、門入とともに準名人(八段)へ昇段しています。
同年、高橋友碩を跡目に定めますが、享保11年(1726)に友碩は亡くなり、翌年に門下の伊藤春碩を再跡目に指名。享保19年(1734)に春碩に家督を譲り、翌年に亡くなっています。
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