本因坊烈元の墓(本妙寺) |
十世本因坊烈元は、九世察元が碁所に就いた明和7年(1770)に跡目になり、天明8年(1788)察元逝去により家督を継いでいます。
本因坊家の格式、権威の復活に力を注いだ師匠察元の遺志を継いだ烈元は、各家元の跡目が書類に署名する際に跡目になった時期が早いものから順に署名していた慣例を、本因坊家から行うよう改めるなど、本因坊家の家元筆頭としての地位を確立していきます。
しかし、格式や権威を守るための出費を惜しまなかったため、跡を継いだ元丈の時代に本因坊家は財政難のため節約を余儀なくされています。
享和2年(1802)安井仙角仙知とともに八段準名人に進み、船橋源治(林元美)、関山仙太夫、伊藤子元など多くの門人を育成した烈元は、文化5年(1807)に亡くなり巣鴨の本妙寺(塔頭・感應院)へ葬られています。
烈元は従来、江戸の生まれ、幕府数寄屋方組頭である山本家の出身と考えられていて、一時期、澤村姓を名乗った事もあると言われてきました。しかし平成15年に八世伯元、九世察元の出身地、埼玉県幸手市にある澤村家の墓所で烈元の墓碑が発見され、調査の結果、幸手出身であることが判明しています。
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