2021年2月15日月曜日

井上因碩

  家元・井上家の歴代当主は井上因碩を名乗っていますが、それは初代井上因碩の名を代々引き継いでいるためです。

 井上因碩は二世名人中村道碩の弟子で、寛永7年(1630)に道碩が亡くなる間際、因碩にも禄を与えるよう幕府に願い出ています。 

 正保元年(1644)、寺社奉行により道碩亡き後、誰が碁打衆を統括するのか詮議が行われますが、因碩と本因坊算悦は共に辞退。手を挙げた安井算哲も認められず、安井算知が名人となるまで38年間、統括者(後の碁所)は不在のままとなります。

 因碩は寛文13年1月14日(1673年3月2日)に亡くなり京都寂光寺に葬られますが跡目はおらず、同年12月に本因坊道悦が自身の門下で道策の弟である道砂の相続願いを寺社奉行に提出。これが認められて井上家は家元として成立していくこととなります。

 初代井上因碩は歴代当主と区別するため古因碩とも呼ばれています。また井上家は当初、因碩を一世としていましたが、名人碁所を狙う十世井上幻庵因碩が井上家の箔をつけるため、名人・中村道碩を一世とする系譜訂正を行い、二世と表記される場合もあります。


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