安井歴代之墓 |
墓石側面に刻まれた名 |
元会津藩士の原仙哲は、五世安井春哲仙角門下で、寛永元年(1748)に仙角の跡目となり御城碁に初出仕します。
仙哲は明和4年(1767)に、名人となった本因坊察元の碁所就任を阻むため争碁を求めますが、幕府は跡目では争碁の資格が無いと要求を却下しています。
安永4年(1775)仙角の引退にともない安井家六世となりますが、その四年半後の安永9年(1780)に死亡。この時、上手七段だったそうです。
仙哲は正式な跡目を決めることなく亡くなりますが、安井家外家・坂口仙徳の子である仙知を養子として迎えていたため、仙知が安井家七世として家督を継承しています。
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