安井歴代之墓 |
墓石側面に刻まれた名 |
七世安井仙角仙知は、五世仙角の門人で安井家の外家坂口家を興した坂口仙徳の長子として明和元年(1764)に生まれています。
若くから、その才を認められ、六世安井仙哲の養子となった仙知は、安永9年(1780)17歳二段の時に仙哲が亡くなった際、まだ跡目ではなかったものの、五世仙角らの働きかけにより七世を継承しています。
同年、実父仙徳とともに御城碁に初出仕した仙知は、以降、棋力も充実していき天明2年(1782)に四段、寛政年間初頭には七段となり、享和2年(1802)、14歳年上の本因坊烈元と共に八段準名人へ昇段します。
中央重視の華麗な棋風で知られる仙知について、後の本因坊秀和は「当代華やかなる碁を推さんには、七世仙角の右に出づる者なかるべし」と評しているほか、昭和の時代、呉清源と木谷實が発表した「新布石」についても仙知の影響を受けていると言われるほど、その実力は高く評価されています。
名人碁所の地位も狙えるほどの実力があった仙知ですが、本人にはその野心が無く、文化12年(1815)に跡目の中野知得に家督を譲り51歳で隠居。
仙知は隠居後、五世と同じ仙角を名乗り後進の指導に尽力したほか、父仙徳の興した坂口家を再興させるなど、安井家を本因坊家に拮抗する勢力へと押し上げ 天保8年(1837)に亡くなっています。
仙角を名乗った七世仙知は、五世仙角と区別するために安井仙角仙知と呼ばれることがありますが、八世が仙知を名乗っているため、大仙知と呼ばれることもあります。
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