2021年2月1日月曜日

三世安井知哲

 

安井家歴代の墓(江東区浄心寺)

墓石側面に刻まれた名

 家元安井家の三世安井知哲は従来、初代安井算哲の息子で、初代天文方・渋川春海の実弟であると言われてきましたが、近年の研究で安井家の過去帳には二世安井算知の実子と記されていることが判明したため、どちらの子なのか議論の余地があります。
 正保元年〈1644〉に生まれた知哲は、少年期に二世安井算知や算哲(渋川春海)らと共に鹿苑寺(金閣寺)に招かれるなど公家や僧侶と交流。万治4年(1661)には後水尾法皇の前で対局を行ったと記録されています。
 寛文4年(1663)に江戸へ出ると、寛文7年(1666)に本因坊道策と共に御城碁へ初出仕。道策とはライバルとして数々の対局を繰り広げていきます。
 延宝3年(1675)に二世算知が本因坊道悦との争碁を20番で打ち止め、碁所を返上し隠居したことで知哲が家督を継承します。
 諸説ありますが、当初は安井算哲の家督は囲碁界を離れた渋川春海が継いだため、知哲は安井算知家の二世という立場であったものの、幕府の囲碁家元制度が整っていく中で、家元の系統が重視され、一世算哲、二世算知、三世知哲という形で整理されたと考えられています。
 なお、天文方となった渋川春海の嫡男・渋川昔尹のもとに知哲の長女が嫁いでいますが、昔尹が春海より先に亡くなったため、正徳5年(1715)に知哲の次男・渋川敬尹が養子に入り渋川家を相続したそうです。
 一方、安井家では知哲が元禄13年〈1700〉に亡くなり、家督は門弟の安井仙角が継いでいます。

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