本因坊道悦の墓(寂光寺) |
師の算悦が万治元年(1658)に亡くなり、22歳で家督を継いだ三世本因坊道悦は、その後、上手(七段)、そして準名人に昇進しています。
寛文8年(1668)に、かつて師匠の算悦と名人碁所を争った安井算知が幕命により名人碁所に任じられますが、道悦は算知が自分とは対局していないことを理由に、寺社奉行に争碁を願い出ます。幕命に逆らってまで争碁を行い、もし負ければ遠島も覚悟しなければならないと、寺社奉行は取り下げを説得しますが、道悦の決意は固く、ついに争碁が開始されます。
算知との争碁は、寛文11年(1671)第16局までに道悦が9勝3敗4ジゴの六番勝越し、その後も道悦の3勝1敗となり、計二十番打ったところで算知が碁所を返上して終了します。道悦の勝因は、成長著しい弟子の道策との共同研究があったためとも言われています。
争碁に勝った道悦も、もともと幕命に逆らって行われたことであるため、延宝5年(1677)に道策へ家督を譲っていますが、その後も道策の後見、名人格20人扶持として対局免除の上で御城碁に10年間出仕します。
道悦は貞享3年(1686)に退隠して京都で暮らしますが、亡くなったのは享保12年2月4日(1727年3月26日)92歳と歴代当主の中で最も長命だったそうです。
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